三学心

~まだ見ぬ第三世代へ私達が残せる事~
教育とは何か。
そんな難しく考えんくても良いんちゃう?
って思います(^_^)vだから私の考えも読んでみて下さい(^_^)v

良負創道

今日はこの言葉をご紹介します。

「良負創道(りょうぶそうどう)」

漢字の通り良い負けが道を創るという意味です。では具体的にどういう事でしょう?


今、子供達も学校の中で「成果主義」的な意味合いの中で生活を送っています。

学校だけでなく少年スポーツにおいても。


学校では例えば全国学力テストの順位が低いから学力を上げよう。

少年スポーツなら試合になれば過剰な期待をかけられることもあるでしょう。


勝負の世界には必ずといって良いほど勝つ人、負けた人が生まれます。

学校では例えば運動会の50㍍走や教科テストも含まれるでしょう。

そこは否定すべきところではありません。

しかしながら、大切な事に我々大人も気付いているでしょうか?

教科テストも運動会もスポーツも相手がいるから出来るという事を。

だからこそ、勝者は奢らず敗者は媚びずおもねらず。こな気持ちが有る無しで今後に影響が出るでしょう。


勝負には良い勝ちかた・悪い勝ちかた・良い負けかた・悪い負けかたが存在します。

誰だって良い勝ちかたが一番だと思うでしょう。しかし良い負けかたも大切だと考えます。

何故ならば良い負けかたは自分に今何が足りないのかを教えてくれるからではないでしょうか。そしてそれを見つけた時、人は初めて気付き成長出来るのではないでしょうか。


「どんなに点数が悪かろうが、ビリだろうが

良いじゃないか󾬄君が今まで一生懸命努力して来たのだから󾬄」


そう言える大人が増えると自然と生きる力がつくでしょう

インクルーシブ教育①

今回は我が家の長女も関わる事となるインクルーシブ教育についてです。


Q,インクルーシブ教育って何ですか?

A,障がいのある子もない子も一生に学ぶ。


この答えですよね。


私は、この答えに少し付け加えてみようと思います。


Q,インクルーシブ教育って何ですか?


A,児童生徒が生きる力を育む事が出来る

より良い教育方法を考える。


大まかにこんな感じでしょうか。

この考えの根底には障害という言葉すらありません。確かに支援は必要ですが、インクルーシブ教育には先ず障害という考えを一度無くす事が重要です。

「インクルーシブ教育」の中に「特別支援教育」と合わせて俗に言う「通常教育」が組み込まれるといった形なのでは無いでしょうか。


具体的に例えてみます。

私達全ての人間は、父母より生命を譲り受けます。そして十月十日し母親のお腹より社会に生をなします。数ヶ月し外の空気と暖かい陽を浴びスクスク育ちます。そこに、きょうだいもいるでしょう。

我が家は四人の子供がいます。

長女は四年生。難病を抱えています。週に一度リハビリに通います。

次女は二年生。ピアノとソロバンを習っています。

三女は3歳。公園や図書館、子育てセンターで遊びます。

長男は0歳。母乳を飲み眠り泣きます。

休みの日にはきょうだい仲良く色んな遊びをします。

そこに壁はが有りますか?其々が必要に応じた支援を受け生活を送っています。


インクルーシブ教育ってそれなんです。

インクルーシブ教育システムって障害がある子もない子も学べる仕組み創りといった難しい話ではなく、一端子供を同じ土俵に戻して、当たり前に戻して、そこから目の前の子供にとって何がより良いか1から一緒に再構築し考えようよ!って事なんです。

松と紅葉

今回はインクルーシブ教育と通常教育とを合わせて考えてみたいと思います。

先ずは写真の説明。

1枚目は見ての通り日本庭園においても堂々とした姿を見せる松。本当立派ですね。

2枚目は?葉を落とし姿の枝のみのモミジです。

皆さんはどちらがお好みでしょうか?


この二枚の写真を様々な人に例えてみて下さい。

今回、私は教師に例えてみます。

子供からみた教師は松の姿でなければなりません。どのような時も凛とした姿を保たねばなりません。子供が教師を尊敬する1つの要素が見た目の姿です。


しかしながら何か始める時。例えばまだ考えすら浸透していないインクルーシブ教育。

その様な場面で松の姿ではいけません。

誰もが美しく見いる葉を落としありのままの姿を見せなければ何が足りないのか解りませんし、どうすればまた綺麗な葉を見せてくれるか考えもしません。そしていままでの経験とプライドという葉を落とし栄養にしなければなりません。

そうして自分が落とした葉に様々な人々(微生物)が協力し初めて落ち葉が養分となり新たな葉をつける源となるのです。

それが出来ねば新たな取組は間違った方向へ進み、自分に葉をつける事無く枯れた木のままになります。一番は困るのは見頃になり集まってきた子供達です。


教師に「プライド」は必要ありません。

必要なのは「誇り」です。

プライドは葉を落とす事を拒みます。

誇りは、誇りを維持するため信念をもって葉を落とした姿を見せる事が出来ます。


あなたが教師ならばどの様な木になりたいですか?